ドクターロハス主催!「第1回楽しい中医学クラブ」
◎ドクターロハス主催!「第1回楽しい中医学クラブ」◎
みなさんの健康を考えるセミナーをやりたいとずっと思っていましたが、いよいよ実現です。部屋は14人収容で私が生徒の一人ですので、今回は限定13人!数回のシリーズでやりたいと考えますが、生薬を口にして体の変化を感じていただくなどの楽しい内容を盛り込みたいと考えています。
日時 4月14日(土)17:30から2時間半程度
場所 野村コンフェレンスプラザ ミーティングルームD
東京都新宿区西新宿1-26-2新宿野村ビル48F
講師 本多竜平氏(彼の経歴は下記)
費用 初回なので3000円です!(不満足ならその場で返金します)
本多氏はまだ30歳代の中医師です。日本では鍼灸師なので、中央では全く無名の存在ですが、私は面接してこの人なら任せられると思いました。私も一生徒として、とても期待しています♪
今回のお申し込みは終了いたしました。次回の開催日程を優先的にご案内します。lohas@jjclinic.jpまでご連絡下さい。
本多竜平氏略歴(物語風にしてみました)
中医師、鍼灸師、あんまマッサージ指圧師
1970年生まれ
小学校3年生の時に漫画の中で使われている陳家太極拳に憧れて、太極拳を学びたいと思いました(池上遼一作「男組」)。
当時は、リー・リン・チェイ(現 ジェット・リー)の「少林寺」などカンフーブームであり、自分でも空手、少林拳、蛇拳、蟷螂拳、酔拳など様々な武術の教室を渡り歩きましたが、どれもピンと来るものがありませんでした。
その後、高校生になってから、易宗内家拳の蘇東成(そとうせい)先生に出会いました。多少の武術の心得があった私は、無謀にも先生に手合わせをお願いし、本気でぶっ飛ばされ、すぐに入門させていただきました。
そして18歳のとき、気功法、鍼灸学、漢方、中国拳法を統合的に学ぶため、単身本場中国に渡りました。
当時は天安門事件の直後で、中国も留学生を受け入れるかどうかも分からない状況でしたが、大好きな映画である、「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」の舞台でもある上海の地に立ち、私はやる気満々でした。現在の上海と異なり、当時、留学当初は夜9時には街全体が真っ暗になるような状況でした。
2年間の語学研修の後に、5年間の本科(医療二班)に入学しました。
全寮制で、一年生の授業は朝の6時から夜9時までで週6日。地獄の攻めかと思うほど過酷で、毎年自殺者が1~2人ぐらい出る程でした。
3年間と6ヶ月の講義の後に1年半の病院実習があります。骨傷科(中医)、外科(西医)、中医外科(中医)、ER(西医)、鍼灸科(中医)、皮膚科(中医)、婦人科(中医)、小児科(中医)、中医内科等を1ヶ月から3ヶ月のサイクルでまわり、あとは卒業までに論文を提出すれば卒業できるはずでした。
しかし、卒業を半年後に控えた時期に無情にも中国中央政府から
「お金で中医師の資格を取得する輩が多いので、本科の留学生には中医全国統一試験を実施する」
ということになりまし通達が成されました。この試験に合格できなければ卒業できないということになり、留学生の日本人1人(私)とマレーシアの華僑6人よりも、一番慌てたのは上海中医薬大学側でした。特にライバルの北京中医薬大学とのプライドをかけた闘いに、初年度の合格率が絶対に100%である必要があったとのことでした。
そこで大学側は、全国統一中医学教科書の編纂に係わった教授陣に、7人の留学生のために特別授業を行わせました。その時に教授たちが、教科書編纂時に行われた大論争の様子や、何の変哲もない教科書のある一文が、実は北京側と上海側の大論争の末、お互いの意見を折衷するかたちで残されたが、本来の意図するところなど、中国の学生にも教えないような裏の裏まで講義してくれました。
結局、最強の家庭教師を得た7人の留学生は見事全員合格し、上海中医薬大学だけが100%の合格者を出せたのでした。
帰国後、日本での資格が必要となり、日本鍼灸理療専門学校で鍼灸師および、あんまマッサージ指圧師の資格を取得しました。
中国語に堪能であり、中国の古典も難なく読みこなすことができることを生かし、現在でも日本・中国伝統医学、武術・気功・エクササイズの研究を行っています。
以上
2007年03月04日