「気」の問題
東洋医学では「気」という言葉をよく使う。「病は気から」ということわざも東洋医学からきているのかもしれない。気分、元気、やる気、広くは生命力と考えることもできるのがこの「気」である。
昔、大学病院にいて頭頚部がんの治療をしていた。がん治療は治療の成否が生死という形で出るため、治療の良し悪しを数ヵ月後には目の当たりにすることになる。ところが、どうしても治療の良し悪し以外に成否を左右する要素があるように感じられた。それは性格である。
医師から与えられる治療法を快く受け入れ、欲求が大きすぎず、しかしないわけでもなく、焦りもない。「治ったらタバコが吸いたい」などという感じの人、こういう人の治りが大変に良い印象であった。大きい目標がある人は焦りのためか無理な治療法を選択肢がちであるし、目標のない人はどういうわけか治りが悪い。適度?な欲求が必要なんだと思う。
さて、現在の私の周りの話。
治療を考える上でやはり「気」の問題は欠かせない。気持ちの充実している人は治りが早いと思うし、マイナス思考ではいつまでも治らない。かといって思考を変えてくださいというわけにもいかないので、それぞれに合った治療法を考えないといけないのだろう。実際には難しいけれど。。。。
私も先日はインフルエンザで倒れてしまったけれど、過去に熱が出るのは日曜日と祝日、出勤日の朝には回復するということを繰り返してきた。これも「気」のための現象なのだと思っている。
昨今、「気」を損なうような過重な労働を強いられている人も多いように感じられる。「気」をすり減らさないような配慮がある職場の方が、最終的な利益は大きいと思うのだが、現代社会ではなかなかそうも行かないのだろうか?
2005年02月22日