子供とのつきあい方

今日も病院では子供達の泣き叫ぶ声がする。

「ちょっとまってー」
『頑張りなさい』

やや冷たい気もするが、親としては子供達にしっかりして欲しいところ。まあ分からないでもない。でも、

「痛いよ。いたい~」
『まだ痛いことはしてない!』『痛くない!』

何て会話が聞こえてくると、子供を下に見ている大人の気持ちが透けてくる。痛いかどうかの主体は子供達である。大人ではない。それを意識していないと子供はいつまでたっても大人たちを受容せず泣き叫んでしまうのである。

「痛いよ」に対しては、
『そう。痛いけれど○○だから我慢しなさい」

と諭していくのが良い対応であると私は思っている。まず受容すること。その時にはうまく行かないこともあるけれど、将来まで受容されたという感覚は子供の側に絶対に残ると信じている。

子供の側にも受容されないと治療は上手くいかない。

そこで、急に中耳炎の話。
耐性菌と言って薬の効きの悪い菌がはびこっているため、急性中耳炎は鼓膜を切って膿を出すのが当然!という風潮である。しかしこの論理には菌と薬と管理する医師の登場はあるけれど、菌を持っている子供のことは忘れられている。

いくらその時に施した良い治療でも、その後から子供が医師あるいは病院不審を持ってしまうと、その後のその子のさまざまな病気の治療に影響が出る可能性がある。確かに菌が死ぬことや数が減ることも重要かもしれないが、子供が病院をいやがらずに健やかに育つことも忘れないでいてもらいたい。

なんだか小児科医のコメントのようだ。。。

2005年03月24日