大気汚染?
東京と空気のよいところを行き来する人が「東京に来た時だけ調子が悪くなる」と言う。みな副鼻腔炎が治り難い人たちである。そういう人たちの一部は大気汚染が影響しているのだろうかー?
2005年06月01日
東京と空気のよいところを行き来する人が「東京に来た時だけ調子が悪くなる」と言う。みな副鼻腔炎が治り難い人たちである。そういう人たちの一部は大気汚染が影響しているのだろうかー?
2005年06月01日
飲みすぎが体に悪いとか、少し飲むのは体に良いとか。さも分かったようなことを言うのだが、実際にどのくらい良いのか悪いのかちょっと考えさせられることがあった。
昔から飲酒の量を聞くときには、咽頭癌、喉頭癌、口腔底癌、舌癌を意識していることが多かった。これは大酒飲みで酒を味わうように飲んでいる人に口の周りの癌が生じやすいということがあるからだ。料理人が料理をしながら毎日のように飲んでいて口腔底癌、あるいは豪快に酒タバコを飲みながら「がははー」と笑い飛ばす首の短いおじさんの喉頭癌、そんな人たちを思い浮かべる。
日常の症状としては、睡眠時無呼吸やいびきを意識していた。何人か飲酒が原因で、飲酒をやめさえすればいびきなどの呼吸障害が生じない人がいた。私は嗜好を変えるのは無理とは言わないが、結構困難だと思っているので、あまりそういうことは言わないのだが、このときばかりは飲酒をやめるように指導させていただいた。
今日はのどの渇き。
酒を飲むと血管が開くため一時的にのどが渇く。この渇きなら自分でもかなり経験済み(笑)。でも栄養の偏りもかなりありそうで、そのために慢性的に渇きがあり、しかも舌炎までできてしまう、そんな人も居られるのだなあ、と実感。最近ストレスのせいで喉が渇く人が多いのだが、飲酒による栄養障害で慢性的に渇く人がいるのだなあと思い知らされた。
2005年05月28日
「みのもんた症候群~その効能ホント?」連載第18回
~「水」は飲みすぎるな?!ノドが渇いたら水分を摂る
普通の感覚を大切にしよう~
2005年05月27日
風邪に関してはいろんなコメントができる。日々患者さんから感じるあれこれは本当に自分の身になるところだ。
今まで、「薬を飲んでも風邪がずーっと続いてしまっています」と言われると、「そうかー、何でかなー」ということで、所見の取り直し。薬の出しなおし、というのが一般的パターンであった。
しかしある時、「これは一度治ってから、再度ひいた風邪だ」ということが分かるようになってから、「何でこういうことが起こってしまったのか?」というところに思いが巡るようになってきた。
最近では、予想外の朝の冷え込みに対応し切れずに鼻水が続いてしまうということがよくあるようだ。続けて風邪をひくパターンも少なくない。
汗をかいているかどうかも大切な病歴になる。特に子供では主観的な症状の把握が難しい場合が多いので、客観的事実として大切な情報である。
ストーリーをよく聞かないと、汗をかいて冷えて風邪をひいたのか、風邪をひいたので放熱のために汗をかいているのか、判断を誤ることになる。冷えたのであればより鼻に傾斜した薬を出さなければいけないし、風邪の汗ということであれば、通常の風邪の対応で十分な場合が多い。
時間経過で風邪を診るということが巷では軽視されているが、風邪の診断ではもっとも重要な観点ではないかと思っている。風邪であれば百題くらいは書けるのではなかろうかと思い、「風邪百題」としてみた。
2005年05月24日
日本人は睡眠を軽視しがちである。かく言う私もこんな時間にブログを書いているので人のことは言えない。
先日学会で、夜のアジアの写真を見せていただいた。何時ごろなのだろうか?日本が一番時刻が遅いと言うのに日本中が煌々と明るく照らされていた。中国の内陸部などは電気事情が悪いところもあるのかもしれないが、日本の明るさは見た目に明確に異常であった。
睡眠時間は7時間がちょうど良いというのがいろんな疾病罹患率から言えることの様であった。長くても短くてもあまり健康のために良くないらしい。それと睡眠が短いことによるいろんな健康に対する悪影響があるようだ。もしかするとアレルギーなどの反応も睡眠不足による自律神経の異常に起因するところなのかもしれない。
今はかなり難しいかもしれないけれど、歳を取ったら好きなように寝られるようになっておきたいものだ。
あー、早く寝ないと・・。
2005年05月23日
「子供の中耳炎には2通りあります」というと、耳鼻科医は全員「急性」「滲出性」を挙げるに違いありません。私も診断名としてはそのような名称を用います。しかし原因が明確に分かれない2つの病名を使い分けるのはなかなか大変なことです。
私はちょっと見方が違います。粘性鼻汁から生じる中耳炎とウイルス性感冒から直接生じる中耳炎とを分けることが大切だと思うのです。粘性鼻汁は元は感冒かもしれませんし、体が冷えて生じたものかもしれません。しかし結果として副鼻腔炎が生じていることが多いために抗生物質が活躍します。
ウイルス性感冒はのどと鼻を確認しないと診断がつきません。(続く)
2005年05月16日
風邪の季節である。あまり風邪がなじまない気候のように思えるかもしれないが、朝の冷え込みで調子を崩している人も少なくない。何を着たら良いのか?と言いたくなるのも頷ける。4月の花粉症の時期よりも風邪の人が増えるため(あるいは学校健診の関係もあるか?)5月の方が忙しい。
そんな中、風邪を複数回ひいている人を多く見かける。本人はずっと同じ風邪を引きずっているつもりなのだが、前回は明らかに風邪の終わりかけだったのに、今回は風邪のひき始めになっている。先日、明確に3回続けて違う風邪をひいた人に出くわした。患者さんにきちんと通っていただいて、しかも良いタイミングでいらっしゃっていただき、しかも所見が分かりやすくないとそこまで診断をつけるのは難しい。
風邪も3度目になると患者さんも「もしかして」と感じているようで、理解が深まるごとに風邪の早期発見(予防まではいかないか・・?)に繋がると私は喜んでいる。ただ、3度目の始まりと2度目の終わりが重なったりして病態は複雑になるので、それぞれの症状がどこから来ているのかをより分けるだけでも結構な労力を要求される。より分けが終了すると全ての症状をカバーできる最小限の処方を考えることになるのである。
風邪だからと漫然と同じくすりをだらだら飲んでいたり、市販のくすりを訳もわからず飲んでみたりすることも多いと思うが、それではあまりに無駄が多い。それぞれの風邪の症状と状態にあったくすりを貰うべきであると思うがどうだろうか?
2005年05月13日
ゴールデンウィークはがばっとお休みした。
体力的な問題もあるし、頭や環境の整備もしたい。
いつもやりたくてもできないことをしておきたい。
どこのドクターもカレンダー通りに頑張って働いて
いるようだ。勤務医時代の私はまさにそうだった。
でもいつも同じように働いていると、方向性が修正
できない感じがする。
私には明確に達成したい医療の姿がある。他の人が
考えている地域医療とは少し趣が異なる。どうしても
考える時間が必要である。特にいろんな手順を考え
ないとなかなか達成できないことのように感じる。
そういえば休みごとに物事が進んでいく感じがする。
患者さんにとっては休みは迷惑かもしれないが、私
には骨休めも大切なのだ。という言い訳である。
2005年05月03日
最近、共稼ぎ夫婦が増えている。女性の社会進出は大変好ましく、どんどん活躍して欲しいという気持ちはある。
そこで子どもが預けられる保育園であるが・・。
子どもを保育するということは、健康に対してもある一定の責任を持つということだと認識しているのであるが、薬を飲ませてくれる施設は少ない。
もちろん間違えて飲ませてしまったら大変だし、人数が多くなるとそれだけその危険は高まるに違いない。でもだから飲ませないで良いということにはならないと思っている。
よく「薬は1日2回になりませんか?」と問われることがある。仕方がないので、3回飲むべき薬を2回にしたりしてしのいでいるが、これが結構私にはストレスである。
以前にも書いたのだが、だからといって薬を飲ませるためにいろんな書類をこちらが書かさせるのはたまったものではない。どういう目的か、どのように飲ませるのか、などなど、ちょっと常軌を逸した対応の保育園もある。
世の中全体が取れない責任は取らないという方向に向かっている感じがするが、如何なものだろうか?これでいいのだろうか?仕方のないことなのか?
2005年04月26日
今週はコミュニケーションの重要性を認識させられる日々だった。
21日は「インターネットを使ったコミュニケーション」について講演を行った。従来は電子メールを手紙代わりに使って情報交換をすることと、ホームページに情報を陳列して見てもらうということがされてきた。でもよりよくコミュニケーションを取ることを求めるならば、多様なサービスが用意されている、ということを紹介した。聴衆の反応はイマイチだったが(苦笑)。
23日は自分主催で「頭頚部癌診療に関する問題点について」患者さんの体験談を中心にみんなで考えてみた。各界の関係者に出席していただいて聞いていただいた。よく事情を理解している医師と率直にモノを考えられる市民、という観点でメンバーを選択した。本当はもう少し呼びたい人もいたのだが、会場の関係で21人の会合になった。
私がとても疑問に感じたことがあった。日本では時間がたくさんあって、言葉も通じる一方、アメリカでは手術までの時間があまりなく、言葉の障壁もある。日本ではコミュニケーションエラーが起こってしまい、治療場所をアメリカに求めることになるわけだが、アメリカでは短時間で十分なコミュニケーションが取れて十分に納得した治療が受けられている。これは大変に不思議なことである。
この答えは何か分からないが、医師の心の余裕もあるだろうし、地域全体でコミュニケーションを取ろうとするアメリカの姿勢にあるのかもしれない。医師が診療に集中できるシステムにも要因があるだろう。診療の歴史の重みをみんなが十分に感じて帰国することを考えると、医療環境がコミュニケーションに与える影響は小さくないのではないのではないか?
2005年04月24日