子どもの診察3

子どもが怒っても泣いても、笑って受容し続ける。

するとあるとき、子どもは自分が受け入れられていることに気づく。
ピタッと泣き止むその瞬間である。

これがたまらなく面白い。

何でこの人は怒り返さないの?という顔をしてきょとんとしている。

それを続けていくうちに鼻水を吸ったくらいでは泣かなくなるのである。

2005年07月16日

気管支炎

7月6日には気管支炎の人が多いと感じ、それをブログに書いた。7月11日の自分の記録に「気管支炎が減ってきたようだ」と書いてあり、その後、患者さんが途絶えていると感じていた。

ところが本日、5人くらいの急性気管支炎の患者さんが現れてびっくりした。いったい何が起こったのか?

気象データをにらんでいたらちょっと気がついたことがある。

以前から湿度が高いときに気管支炎になりやすいと思っていたが、7月にはいってからは湿度はいつも高い状態だった。ところが最低気温が2日から10日は18.7~21.1度と少し低め。その前後は大体23度以上であった。

高温多湿であることが気管支炎の原因か。気管から熱が逃げにくい状態が高温多湿によって作られて、気管支炎が発症するのだろう。

2005年07月15日

医療情報について

体のことについてはみんながいろんなことを知りたがっている。もちろん私もその一人だ。ホームページはそういう欲求を満たしてくれるツールのひとつと言える。

病気のことに関して、私のホームページの使い方は「あれれ、これは知らないぞ(忘れたぞ)」ということであたふたと調べることがほとんどだ。ホームページを見た時にその情報の有用性については何となく勘が働く。いくつかのホームページをみて、そのうちのひとつを熟読することで終わりになる。

でも、たいていの人は自分の症状で検索をかけてみることが多いのではないだろうか?そうするといろんな情報がランダムに自分の前に現れる。それを上から順番に読むことになり、「じゃあ自分の病気は何??」と混迷がかえって深くなることも多いのではないかと思う。

例えば「首が腫れた」というだけで、風邪から喉頭癌、果ては結核まで検索されてしまう。結局不安がつのるばかりで何も解決しないということになりかねない。

・・・さて何か妙案があるか?

残念ながらない。いくら情報が開示されてもそれはあくまでも確率上のことであり、診断確率を高めるのは結局医療従事者の経験によるのだと思う。さらに情報にうそや紛らわしい情報まで混じって伝わってくる以上、医師患者間の情報の非対称性はいつまでも解消されない。残念。

医療相談をメールでしている医師もいる。ただやはり不確実だし、結局「不安なら来て下さい」という結論になりそうなので、時間対効果が悪い感じがする。

私はこのブログ、そして今度創刊するはず(笑)のメルマガで感性を鍛えていただこうと思っている。

実践ロハス生活!~これであなたも医者いらず~
http://www.mag2.com/m/0000164378.html

予防こそ最大の防御。病気になったら諦めて受診する。これが私のオススメである。

2005年07月14日

合う薬

今日は少し難しい話。

とある患者さん。私の処方した漢方薬が良かったようで
「この薬はどうも私に合っているみたいなんですよ」
とおっしゃってくれた。

・・・?
薬が本人に合っているから効いたのか??

確かに、本人に合っているのだと思う。でも、それは偶然「合った」のではなく、私が「合わせた」のであると言いたい。実際かなりよく考えて選択した処方であった。

でもよく「私には合わない」「私には合っている」なんて話をよく耳にする。日常のありふれた会話で出てくることだ。

私が処方したものでも合わないということは少なからずある。でもそれは本人が薬に合わなかったのではなく、こちらが本人に合わせた処方を選択できなかったのだと私は思う。

大した違いではないけれど、もっといろんな面で検討を加えれば、きっともっと良いものが選択できたに違いない。

ただ現状の医療レベルでは、それを完全にすることはできていないし、また患者さんの側も偶然頼みの部分を持っているのだな、と改めて思い知らされた。

まだまだ勉強することが多そうだ。

2005年07月12日

こどもの診察

こどもの診察は面白い。と何度も書いているけれど(笑)。

何と言っても泣き叫ぶ子供をどうやって、あるいは何回で泣かずに診察を受けさせることができるか、これがやりがいのあるところなのだ。

必ずどんな子ども達も耳鼻科は怖い。でも必ず泣かずに、進んで診察台に向かうようになるものである。

子ども達に安心を与えればいいのである。もちろんご両親の協力は必要だ。私は

1.同じ手順
2.同じ診察
3.同じ口調
4.同じ薬(全部同じとはいかないが)

を使っている。あとはきちんと短期間で治す事が求められる。

ご両親に必要なのは、ありのままを伝えること、ありのままを心構えさせることである。つまり、

1.耳鼻科に行くことを伝える
2.何で行くのかを伝える
3.行くとどうなるのかを伝える
4.処置が終わったあと、できたことに関して適切に誉める

ということである。まあ当たり前のことだ。これらを全て繰り返しているとだんだん子ども達は泣かなくなっていくのである。

2005年07月09日

学会に思うこと

漢方に関する医学会では、漢方処方に関するエビデンスを集めるのに必死である。「○○病に△△湯を用いたらXX%の患者さんが良くなった」とか、そういうことである。

でも・・・
○○病とか、XX%というのは西洋医学の統計医学的側面なのではないのだろうか?つまり有効率の高さを競う治療である。東洋医学は証が合致すれば必ず効果の出るはずの治療方法であり、治療効果がでないなら、証を取り違えている、ということなのだと思う。

だからある意味、東洋医学は理想的には有効率は100%であり、それを目指して日々研鑽をするというのが私の考える東洋医学なのである。従って治療が上手くいかないとき、薬が悪いのが西洋医学、見立てが不十分と反省するのが東洋医学である。

そう考えている私なので、西洋薬が効くとホッとするが、漢方薬が効くととても嬉しい。西洋薬が効かないと何だか腹立たしいが、漢方薬が効かないとみじめな気持ちになる。

余談だが、医師が治療がうまくいかないときに患者さんに辛くあたることがあるかもしれないが(私は非協力的でなければ辛くあたることはありません)、これは西洋医学の、いや西洋の特性なのではないだろうか?と思ったりして。

2005年07月08日

漢方医学の会合

正式名称は忘れてしまったが、渋谷漢方の会合に出席した。

漢方の勉強会にありがちな総花的なものでもなかったし、くそまじめな会でもなかったし、久々になかなか良い会合であったように思う。

ストレスがテーマであったのだが、これは現代社会では大変に大きなテーマである。ストレスから生じる病気が多い昨今、やはり臓器別に考える西洋医学よりも心身一如の東洋医学の方に自分としては魅力を感じる。

東洋医学のみで勝負している人たちの話には本当に深みを感じる。今日の講師の先生にも何か人間力というのであろうか、感じるものがあった。

かたや、私の診察は東西のちゃんぽんで、都合の良い方を取ったり、両方の理論を使ったりしている。人間も八方美人的で診察と同じ感じ(笑)。

2005年07月06日

病気の傾向

ここのところ雨模様の日が続いているせいか、めまい、難聴の患者さんが増えてきました。

と思っていたら、7月1日ごろに気温の変化が激しくなったためか(特に夜寒くなったせいかな?)、そのあたりから調子を落としている方が大変に多くなっているのに気づきました。

でも夏の定番、ヘルパンギナが近隣の保育園で大流行しているようで、夏も一歩一歩近づいているという印象です(ヘルパンギナ;子どものウイルス性口内炎で夏に流行することが多い)。

やっぱり気管支炎の方が多いです。絶対に湿気が多くなる時期に罹患する人が多いと思うのだがどうでしょう?ある程度水分が蒸発していくことが健康な気管を維持するために必要なのかしら?と思います。つまり、水が飛ばないから熱がこもるという仮説なのですが、、、、。

2005年07月06日

クーラーの季節

クーラーが必要な季節になってきた。

昔の私の家には勉強部屋にだけクーラーがついていた。父に事務所にも、居間にもクーラーはなかった。それが当たり前の生活だったのだが、現在ではクーラーがあって当たり前の生活である。

ちょっとクーラーのせいかな?と思うような副鼻腔炎が増えてきている。こういう患者さんが夏には少し増えてくる。私は寒がりなのでそう思うのかもしれないが、どこに行っても冷えすぎなのではないだろうか。

そうそう、生鮮食料品を扱う店などは店全体が冷蔵庫のようだ。こういうところで働く人たちには苦労が多いと聞く。食料品を扱わない場所にはクーラーがなかったりするようで、暑いところと寒いところを行ったり来たりしなくてはならないこともあるようだ。

百貨店の販売員なども、職場で冷えるのを防ぐために上着を着るように勧めている。しかし、彼らは見た目が良くないから上着は着られないと言う。案外、やってきている人たちも少し寒いと思っていて、上着を着ていることもある。だったらみんなで少し暑いのを我慢した方が合理的なのではないだろうか?

摂食も飲水も何でもそうなのだが、本当に必要なもの、本当に必要なことをもう少し考える世の中にならないだろうか?と思う。

汗をかきたくない、という考え方が広がっているが、健康を考えるとこれは正しい考え方とは言えないと思っている。

まとまりがないけれどおしまい。

2005年06月27日